舞台もよく行かれていますが、好きになったきっかけの舞台は何でしたか?

ask.fmにいただいた質問の回答です

 

あやかさんこんにちは。あやかさんは舞台もよく行かれていますが、好きになったきっかけの舞台は何でしたか?私は、剛くんの荒神で初めて舞台を見て以降、新感線のファンになりました。荒神のツイを見て懐かしくて質問させて戴きました。

 

わたしも新感線という劇団に触れたのは荒神がはじめてで、荒神があったからこんな風にジャニーズ関わっていない舞台作品も観に行くようになったわけだけど、「舞台を好きになったきっかけ」という点で言うと、嵐の大野くんが出演していた「センゴクプー」です。

アニメのようなオープニングがあって、役者さんたちが舞台を所狭しと駆け回って殺陣をして、なぜかみんなで嵐の曲を歌ったり、嵐のメンバーが観劇に来ている日はそれを弄ってアドリブネタを入れたり、そういうナマだからこその迫力とか、ライブ感とかに、「舞台ってなんておもしろいんだ!」と、当時のわたしは思ったのでした。
学校の課題とかでなく自分の意思で観た舞台としては2作品目という、舞台初心者だったわたしは、この作品に一気に魅了され、舞台というものが好きになったのです。

勧善懲悪活劇、ポンポンとテンポよく進むセリフのやりとり、ちょっとだけ胸が痛くて、でも前向きな光が見えるストーリーも大好きで、飄々とした風助は大ちゃんに本当によく嵌っていたし、他の登場人物もかわいくて、格好良くて、とても生き生きしてた。
喉を潰され、武器であった「話術」が奪われた風助が「マダマダ」と書いてみせるラストシーンが大好きで、ボロボロ泣きながら観た。
当時、映画などを観ても全然泣かなかったわたしは、そんな自分にとても驚いたものです。
(いまはそんなん嘘みたいに泣く。すぐ泣く。年取って涙腺ゆるゆる。)

そして、舞台の大野智は良いと噂には聞いていたけれど、本当によかった。
権力や金の前で右往左往する人々を冷めた目で見つめる風助は、まだ「嵐」でいることに納得できていない、一歩引いてメンバーを見ているように思えた当時の大ちゃんと被るところがあったし、眠そうと形容されるあの顔で飄々と人々の言葉や剣を交わしていく様子はとても軽やかで、美しかった。
剣でなく言葉で戦う風助は、立て板に水をかけるように次々と言葉を投げていくのだけど、普段のぽそぽそとしゃべる大ちゃんからは想像もつかないような流れるような軽快な発声で、とても驚いたし、とても格好よかった。
一幕終わりの「俺の声、その心に届いた者あらば、共に立ち上がり歌い踊れ!!」っていうセリフの力強さと、そこからの「WOW」っていう流れが格好良くて、そりゃあ舞台の大野智は良いといわれるわけだ、と納得した。

コンサートですら複数回参戦するっていうのをほとんどしたことがなかったのに、どうしてももう1回観たくてチケット入手してグローブ座に足を運びました。
いまの嵐を取り巻く環境からは考えられないけど、チケットも全然余ってて、ファミリークラブから「○○日のチケットあるけどどうですか」って電話くるくらいだったんだよ。
学生でお金なかったから断ったけど、いまなら借金してでも行くのになぁって悔やまれる。

本当に本当に大好きで、大切な作品。いまでも時々、上演台本を引っ張り出したりする。
思い出だから美化されてるところもあるかもしれない。いま観たら全然違う感想を抱くかもしれない。
あれから色々な舞台を観て、殺陣も、演出も、劇場も、役者も、もっとすごいものをたくさん見てきたけど、いまでもわたしの「一番」はセンゴクプー以外にはありえない。
もし願いが叶うのであれば、もう一度、センゴクプーが観たい。
再演とかではなく、2003年の、あのセンゴクプーが観たい。